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2011年10月26日 (水)

東日本大震災と河口域の再生について

10月18日の養成講座で、淡水生物研究所の森下郁子先生にお話しいただきました。
その中の一部をまとめてみました。
次の講座は、11月の12日です。
次回から最後まで通してのご参加は、
養成講座受付 info@scet.info へお申し込み下さい。
1回ずつのお申し込みは、環境技術学会の環境サロンでお受けしていますので
kankyo-g@jriet.netまで【環境サロン申込】としてお申し込み下さい。

では森下郁子さんのお話しです。
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東日本大震災の被災地の復興に向かうにあたって
考えなければいけない「河口域」の特性をお話しします。
 川にすむ生物が我々に施す生態系サービスは、
川のありようによって様々です。
川は、河口域の気候帯や地形そして人間社会の営みと深く関わり
河口域毎の特性を形成します。
被災地河口域の再生を考えるには、
環境に対する時代の要請の変化を真摯に受け、
河口はこうなんだという思い込みを排して冷静に設計図を描くことが求められています。

その前に、生物多様性のことについて、お話ししようとおもいます。
じつは、ポーランドから帰ってきたところです。
ドナウ川を見に行きました。ドナウ川はドイツから始まって
ポーランド、ルーマニアから南はイタリアまで2600kmの距離を
17カ国を巡って黒海に注ぐ国際河川です。
どの国の歴史もドナウ川から受けた様々な恩恵を抜きにしては語れません。
世界の自然遺産とも言えます。
このような自然を人類の資産と位置づけようというのが
生物多様性のそもそもの考え方なのです。
1972年のストックホルム会議で「かけがえのない地球」がうたわれ、
「世界の文化遺産および自然遺産の保護に関する条約」が採択されました。
ここで大切なのは、はじめて、目に見えない生物の世界が評価の対象になってきたということです。
そして生物の多様性を考える上でもう一つ重要なのは、
人の多様性ということです。
多様であると言うことは、同じではないことを認めるということなのです。
皆同じように成長する必要はない、違っていることを価値として考える、
そういう流れの中で、1975年国際障害者年が国連で採択され、
1983年から1992年のリオ・サミットまでの10年間が各国で障害問題に取り組む10年間として定められたのです。
以上が、被災地河口域のことを考えるための前置きです。

さて、津波が被災地沿岸を含む河口域の生態系に
どのような影響をもたらしたのかを考えるには、
そもそも河口域というところがどんなところかをしっておかなくてはなりません。
ご存じのように川には、上流域、中流域、そして下流域である河口があります。
もしその川に固有種がいるとすれば、棲んでいるのは上流域です。
上流域から川が流れて河畔林ができ、土砂が堆積し、
魚が隠れたり卵を産み付けたりしやすい場所のある中流域に来ると、魚の種類が一番多くなります。
では河口域は、と考えると、そこは最もヒトの手が加わっているところです。
なぜかといえば、海に注ぐ河口域を利用してヒトは生活や産業を営むからです。
ですから、河口域の再生のためには、
川自身の特徴とともに川が地域においてどう利用されているのかを考えることがとても重要になります。
河口域自身は海とつながっていますから、
慌てなくても魚が汽水域を行き来するように川の流れが海と行き来しながらいつか元に戻ります。

ですから、たいせつなのは、交通の要路だったり、
水産業の拠点だったり、
その地域の生活や産業の中で河口域の在り方を考えるという事なのだと思います。
また、河口域はそんな風に人の手が一番加わっていて、
魚も放流されますし、養殖も盛んです。
言ってみれば川の状態としては大変特殊と言えます。
そんな風に人の出入りが多いので、生態学からすれば、
なかなか調査の対象にならないということがあります。
もちろん、たまたま長良川は河口堰問題があって調査が進みました。
淀川で言えば、巨椋池の干拓、太閤堤などの歴史が文化的資料としての価値を残してくれたため
調査が進むということがありました。

そんなわけで河口域は必ず回復します。
ですが、中には、川の持っている容量そのものが
震災のために失われてしまった川があります。
そういう川の河口域については、
逆に海の生産を助けるためにも手当をしなければならない。
要するに地域の復興とおなじことです。
河口を一律に見てはいけないということ、
そしてどんな河口にしたいのかということ、
鮭を戻したいのか、鮭が戻らなくていいのか、カキの養殖をするのか、
ホタルの川にしたいのか、用水をひきたいのか。
環境問題に取り組む人は、おとぎ話を語るのではなく、
工学のこと、生物のこと、そして人が生きてきた歴史を知らなければならないとおもいます。

さて、焼き畑農業では、一年目はソバを植えます。
二年目は黄色のヒエかアワを、三年目はゴマを植える。
耕しません。
そんな風にして焼き畑農業は四年でつぎの場所に移ります。
もしコメを作るとなると十二倍のエネルギーを必要とします。
ですがヒトの手を加えないとすると、
その場所は三十年たてばクリやシイの木が生え、里山ができ、薪炭ができる。
マキを採りたければ三十年ごとに更新しなければなりません。
八十年放っておいたら武蔵野になり、ネズミもイノシシもいなくなります。
そうして四百年たてば大台ヶ原になります。
どうしたいのかをヒトがよくよく考えなくてはなりません。

(以上、お話しを一部まとめてみました。
当日の資料やデータは掲載していません。文責は事務局にあります。)

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